2019.7.24納棺の儀を通して、美しくなった母が教えてくれたこと
目次
葬祭業に携わるものとして、大切な人を見送る
私は、大の葬祭で働くスタッフのひとりです。
葬祭業に携わるものとして、一人ひとりにていねいに寄り添ってきましたが、やはり自分の身内ともなると、葬儀とは悲しみの深い出来事に変わりはありません。
先日、私の母が亡くなりました。
今でも思い浮かべると、涙がこぼれ落ちてきます。
しかし葬祭業に従事するものとして、大切な人との別れについて
きちんとこちらに記しておきたい…。
その思いでお伝えさせていただきます。
最愛の母を亡くすということ
母は最期の時期、苦しむことはなく、眠ってばかりでした。
それでも姉と私が声をかけると、声にならない返事と言いましょうか、言葉は届いていると感じておりましたので、できるだけ声をかけてコミュニケーションをとっていました。
しばらくすると、どこか遠くのほうへ行ってしまったように、目を見開いたままの状態が続いたり、口が開いたままになる時間が長くなり、徐々に遠ざかる母の意識を感じながら、私たちはいよいよくるお別れの時間を予感しました。
そして幾分か時が過ぎ母は、私と姉、そして親族から見守られて、この世を去りました。
窓を開けると爽やかな風が頬を撫でる、五月晴れの気持ちの良い日でした。
どうしようもできなかった、母の身支度
ここからは、故人となった母の旅立ちの身支度についてお話させていただきます。
母の意識が遠ざかってゆくなか、「目を開けて亡くなる方もいる」と姉が言うので、片目ずつ手で押さえてようやく目を閉じることができました。
口の開き具合も気にしていたのですが、臨終後の硬直が思いのほか早く、口がすぼんだままの状態になってしまいました。
思い返すと、オシャレが好きな母でした。
家族の誰よりも早く起き身支度を整え、いつも綺麗に紅をさしていました。
私も子どもの頃はこっそりと母の鏡台の引き出しから口紅を取り出し、自分で塗ったり、白粉をはたいてみたり…。
母は私のそんな姿を見て、叱りはするものの、口のまわりが「オバQ」のような私を見て、微笑ましく笑っていたのも思い出します。
そんな記憶をたどりながら、今そばに横たえている母の表情に目をやると、
きっとこの姿は本人も納得していないだろうなと思うと同時に、
母へ申し訳ない気持ちがこみ上げてきて、悔やんでも悔やみきれませんでした。
プロの技で生まれ変わった母の顔
そんな私の沈んだ気持ちを吹き飛ばしてくれたのが、湯かん師さんでした。ご遺体のお顔そり、お化粧や洗髪、湯かん、お着替え、そして場合によっては外傷がある方の処置を施すプロの業者さんです。
お仕事に携わるなかで、そのプロの技は素晴らしいとの評判は知っていましたが、実際にその技や手際の良さを目の当たりにし、私たちでは、なす術もなかった母の口のすぼみが気にならないほど、綺麗に仕上げていただきました。
そこには元気だった頃の母と変わらず、素敵な表情をたたえていました。
その姿を見て、今にも目を覚ましそうで、堰(せき)が切れたように想いがあふれて、
また泣けました。
母をキレイに旅立たせてくださって、感謝の気持ちでいっぱいです。
特別な想いがあふれる別れに、しっかりと寄り添う
実際に実母を見送って、母親との別れというのは、この世のどんなことよりも悲しいことだと知りました。
どんな時も自分の味方になってくれ、強く優しい女性だった母に、このような形で敬意を払えたことは、娘の私にとっても特別なことでした。
結婚式で母に美しくしてもらい、お葬式で母を美しくして旅立たせる。
娘として恩返しができたことをうれしく思います。
母は身をもって、私の仕事の大切さを教えてくれ、
手綱を引き締めてくれたのだと。
そう思うようにしています。
これから、同じような場面に出くわすことが多々あるかと思います。
そんなとき、同じ気持ちになったものとして、
今まで以上に寄り添える気がしています。
お葬式は一見、どれも同じように見えてしまうかもしれません。
しかし、100人いれば100通りの「想い」があり、決してどれ一つ同じお葬式はないのです。
私たち大の葬祭スタッフは、ご家族の大切な「想い」をしっかり感じとり、つなぐことを使命としています。
「想いを大切にする。エピソード」では、お葬式のワンシーンから生まれた、大切な想い出のストーリーをご紹介させていただきます。